This is what the KLF is about

彼等がいなかったら、いったいテクノはどうなってのだろう?そう思わせるほど彼等は突然現れ、音楽業界に旋風を巻き起こし、忽然と消えた。このページは彼等のテクノを発展させた功績、及び世界中のリスナーに度胆を抜かせたパフォーマンスに捧げたものである。


サンプラーが無ければ、殆どのインディー・バンドは死に絶えるだろう

KLFはジミー・コーティビル・ドラモンドの二人からなるユニットである。彼等はスタジアム・ハウス及びアンビエント・テクノ(チルアウト)というジャンルを生み出し、サンプリングの極意・サンプラーという楽器はこう使うのだ!という道を切り開き、その道筋も指し示していった。しかし、そのあまりにも露骨なサンプリング行為はメジャーレコードレーベルからの総攻撃を食らい、彼等は果敢にそれに立ち向かっていったが、残念ながら1992年に『KLFは音楽産業と訣別する』と言い残し、去っていった。

KLF discography

タイトル名(調べた限り)コメント
All you need is love海賊版500枚限定
All you need is loveリミックス版5000枚限定
All you need is love (The Me Ru Con mix)7インチ盤1000枚限定
1987-what the f**k is going on?今となっては廃盤の1stアルバム、Hendrix,Led Zeppelin,Queen,Julie Andrews,ABBA等をサンプリング
Whitney joins the jamsホイットニー・ヒューストン、Mission Impossible等をサンプリング
1987-The Edits1stアルバムの(殆ど音なし)編集版
Downtown公式2ndシングル
Who killed the JAMs?2ndアルバム
Burn the bustard輸出用5000枚限定、KLF名義1stシングル
Doctorin' the tardisUK National Chart No.1
Gary in the tardisfeat. Gary Glitter
What time is love?シークレットリリース
Shag Timesシングルコンピレーション兼KLFデビューアルバムの2枚組
Deep Shit6枚限定で発売中止
Kylie said to JasonもちろんKylie MinogueとJason Donovanをバカにしたもの。PetShopBoys風にしたが102位どまり
3AM Eternal正式リリース
What time is love?再リリース
What time is love story?カバーシングルのコンピレーション
Last train to trancentral2000枚限定シングル
Chill Out世界初アンビエント・アルバム
Madrugada Eterna12枚限定クラブ・リミックス
What time is love?(Wonderful Version)1500枚限定
What time is love?(Monster Attack mix)3枚限定
Policy of truth(Trancentral Remix)depeche modeのリミックス
So Hard(Trancentral Remix)Pet Shop Boysのリミックス
3AM Eternal(Live at the S.S.L)UK National Chart No.2
White Roomサウンド・トラック・アルバム
Last train to trancentral(Hardcore remix)White Roomからのシングルカット
Justified and Ancientニューシングル
America: What time is love?US盤をリリース
It's grim up northJAMs名義で4年ぶりに公式シングルとして発売
3AM Eternal XMAS T.O.T.P.'911000枚限定
America: What time is love?UK盤をリリース

-最終順位-
TitleUK ChartUS ChartPrize
Doctorin' the tardis1N/A 
What time is love?5N/A 
3AM Eternal15ブリッツ最優秀シングルノミネート
Last train to trancentral2N/Aブリッツ最優秀ビデオノミネート
Justified and Ancient2N/A 
America: What time is love?4N/A 
It's grim up north10N/A 
White Room3N/Aブリッツ最優秀アルバムノミネート

確認した現存するKLFのレコード

The History of the JAMs a.k.a. The Timelords-TVT Records TVT4040CD
The KLF/Chill Out-TVT Records TVT7155
The KLF/The White Room-Toshiba EMI TOCP6743
The KLF/The KLF作品集I-Toshiba EMI TOCP7401~3
The KLF/The KLF作品集II-Toshiba EMI TOCP7401~3


KLF biography

-1987-

シングルは2日、アルバムは6日で作った

ビルの職歴は70年代Big in Japanというバンドのメンバー、シングル盤のみをリリースするZooレコーズの設立者、エコー&ザ・バニーメンの出版管理兼プロデューサー兼マネージャーと様々であった。一方ジミーはロック・ダンス・バンド、ブリリアントのギタリストであった。ビースティー・ボーイズに刺激されたビルはジミーに電話をかけプロジェクトを始めないかと持ちかける。こうしてビル・ドラモンド=King Boy Dとジミー・コーティ=Rockman RockによるJustified Ancient of Mu Mu(以下JAMs)が結成された。グループ名は共同謀議の理論に関するから取られ、ロゴはビースティー・ボーイズからのパクリだったらしい。

年の暮れに、ふと、ロックン・ロールの歴史に嫌気がさしたんだ。ヒップホップのスタイルでアルバムが作りたいと思った。それでジミーに電話したんだ。それ以外は何の計画も、哲学も、実績もなかった。
つまり、ロックン・ロール25年の歴史に対する反乱として音楽を始めたのだ。我々はヒップ・ホップに触発されたのだ。あれにはブリティッシュ・パンクの流れを感じたから。

All you need is love』(ビートルズ、MC5、サマンサ・フォックス、エイズの公共広告を無造作にサンプリングしている)を海賊版でリリース、プレスで大好評を呼ぶ。ジミーは街中のポスターの上にこのレコード広告をペイントし、タワー・レコードの窓にも落書きしてトラぶる。

最初のシングルをリリースしようとしたときは誰もJAMsのことなんて知らない。だからタワー・レコードのウィンドウに"Out now!, Justified Ancient of Mu Mu"と描いてやったのだ。みんな唖然としてたけどね(『フェイス』’90)

1stアルバム『1987』をリリースする。その発売前夜、JAMsの二人とNMEのライター計3人は国立劇場の屋根によじ登り、デカイ字で"The JAMs"と落書きする。また同アルバム中の『The Queen and I』でABBAのDancing Queenを使用したことでABBAから告訴される。

誰かが訴えてくるなんて予期していなかった。ABBAの時も最初は信じられなかった。なにしろ訴えてきたのはパブリッシャーではなく、ABBA本人だったのだから(『フェイス』’90)

著作権保護団体からJAMsは『1987』の製造・販売の中止を勧告され、同品の処分、マスターテープの引き渡しを言い渡される。

ABBAの出版元ではなく、メンバー自身から告訴されたため、"Artist to Artist"で話をつけるため、JAMsは事情を説明するためにジミーの愛車(=JAMsモービル)にアルバムを積みストックホルムへ出向。26時間かけてストックホルムについたが、ABBAの住所がわからず道に7時間迷い、おまけに保護動物・大鹿を轢き殺す。意気消沈したJAMsは、急きょ計画を取り止め、夜の街に立っている売春婦達に『1987』を何枚かプレゼントし、その場で"ABBA's Greatest Hits"を爆破してみせる。その足でABBAの事務所まで向かい『The Queen and I』をフルボリュームで夜の街に響き渡らせた。帰路、運転を誤ってとうもろこし畑に突っ込む。そこで500枚あまりの『1987』を焼却していると、煙りに気付いた農夫に発砲される。

『1987』から著作権法にひっかからない(殆ど音のしない)『1987-The Edits』を発売。

-1988-

あのナンバー・ワンのシングルは1週間で作ったんだ

『1987』を燃やしている写真がジャケットになっている2ndアルバム『Who killed the JAMs?』が発売される。また『1987』を1000ポンドで販売し、7枚売る。

ここに録音したすべての音は著作権解放戦線の名のもとに盗用させていただいた。ただし、ファーストに収録の『The Queen and I』はABBAに取り返されました

ニュープロジェクトTimelords(ボーカルはJAMsモービル)の『Doctorin' the Tardis』がリリース後3週間でUKチャートでNo.1になる。JAMsモービルはNMEのインタビュー答え、かつてスーパーマンが自分に落ちてきたエピソードやデトロイトで作られた自分がいかにモータウンの影響を受けているかを語る。またTimelordsはBBCの"Top of the tops(TOTP)"に出演するが、『Doctorin' the Tardis』でサンプリングされていた同局の番組ドクター・フーからの音の使用に法的措置を取られる。これ以降Timelordsは活動していない。

その後、ビルとジミーは『The Manual(How to have a number one the easy way)-ザ・マニュアル(いかにして楽にナンバーワンをだすか?』という本を書く。また彼等の映画『The White Room』の撮影が始まる。

もし、読者がすでにミュージシャンであるなら、楽器の演奏はおやめなさい。それよりか、ガラクタを売る方をすすめます
多くのバンドのメンバーが信頼したがっているなんて神話なのです。もしあなたがバンドにいるなら、そんなものやめて、抜けてしまいなさい
経験主義者よ、経験など忘れなさい!(『ザ・マニュアル』より抜粋)

-1989-

KLFとして本格的に活動を開始し、『What time is love?』、『3AM Eternal』をリリース。この2曲はサマー・レイブのアンセムとなり、KLFはポリエチレンの粉やコーンフレーク、スコットランドポンド札などで観客を攻撃したためレイブにおいてのメインアトラクションとなってしまった。

『What time is love?』の再リリースのビデオ撮影のためとうもろこし畑に侵入してミステリー・サークルをつくっていることろを人に発見され、BBCの10時ニュースで報道される。

本当はケシの花を植えて、でっかくKLFと書きたかった。それを人工衛星から写真に撮りたかった。でも気がついたら真夜中にコーン畑にいたんだ。訳もわからず

-1990-

システムと戦っているというより、システムを無視しているんだな(『レイジ』'90)

最初のアンビエント・テクノ『Chill Out』をリリース。ウェンブリー・スタジアムから出演依頼があったが、会場に象を2頭持ち込もうとしたのが発覚、公演はもちろんキャンセル。アムステルダムのパラディソ・クラブでビルは『What time is love?』を23分演奏した後、機材を自由にしたいという理由から、いきなりターン・テーブルを客に投げ付け、出入りを禁じられる。なにも起こらないアンビエント・ビデオ『Waiting』が発売。

ずっと騒々しいダンスレコードばかりだったから、家に帰ってからも聴けるようなものを作りたかった(『Q』'90)

-1991-

過去の人生で一度たりとも冗談を言った事はない(『NME』'91)
我々は非常にシリアスだ。我々はレコード産業には関わってはいないし、その意味を追求する者でもない。メジャーに反するインディーでもない。ただ行為があるのみ

KLFはSunday Times紙が出した広告板「The GULF FACTS(湾岸戦争の真実)」の文字'GU'のうえに'K'を書き足して『KLF FACTS(KLFの真実)』に書き換えたことで4時間ほど拘留される。『3AM Eternal』を再リリース。またサントラ『The White Room』をリリースし、『Last train to trancentral』をシングルカット。これは一般に「スタジアム・ハウス三部作」として知られるものからのサードシングルで、かつラストシングルである。『The Stadium House(The trilogy)』という、3枚のシングルのビデオ・クリップをリリース。

にせKLFがアメリカ・ツアー。首謀者は『Last train...』のボーカルに起用したワンダ・D。JAMsの名義でアンダーグラウンド・テクノ・トラック『It's grim up north』をリリース、同シングルの落書き広告をめぐって、運輸大臣に即刻撤去を求められる。

TOTPはクリスマス当日女王陛下のスピーチの後の放送で、KLFに『3AM Eternal』の演奏を依頼。ビルとジミーは、特別なクリスマス的雰囲気を持つバージョンを録音することを条件に同意し、スラッシュ・メタル・グループのExtreme Noise Terrorと共にスタジオ入り。TOTPは完成したものを聴き激怒し、その演奏を行うことを拒否。またKLFはまともなバージョンをやることを拒絶し、BBCに出演を拒否される。『3AM Eternal (Slash Version)』はNMEのシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれる。

モットーがある。それは”矛盾を受け入れろ”だ

-1992-

虐待される子羊について訴えたかった

3AM Eternal XMAS T.O.T.P.'91』はKLFの通信販売部門から1000枚プレスされ、告知から48時間以内に5000通の申し込みがあった。

ブリッツ・アウォーズでBest British Groupの1つに選ばれ、他にもBest Album,Best Video,Best Singleの3部門でもノミネート、ライブ・パフォーマンスも行った。そこでKLFはExtreme Noise Terrorと共に『3AM Eternal (Slash Version)』を演奏し、度胆を抜かれている観客に向かって"Justified Ancient of Mu Mu VS Extreme Noise Terror-----This is television freedom!!"と叫び、キルトを履き、松葉杖をついて出てきたビルは曲のクライマックスになるとステージから引っ込み、マシンガンを持って再登場、空砲を打ちながらレコード会社のお偉方が勢揃いする観客席に突っ込む。演奏が終わるとビルは『KLFは音楽産業と訣別する』と言い放ち、受賞後パーティーが催されたホテルの外に死んだ羊を捨て、音楽業界の当惑を呼んだ。

おまえのために死んだ。どうぞめしあがれ(ホテルの前に置かれた羊の死体より)


Ladies and Gentlemen...The KLF have now left the music Buisiness